夢を形に!植松みつお

政治、経済、教育、医療、メディア、等々の中から、話題を取り上げ、問題提議して参ります。あたなと共に「幸福の実現」を目指して参ります。

スポンサーサイト

--.--.-- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

続々と出てくる小沢チルドレンたち!何が変えられるか?!

2010.05.11 (Tue)
「文化芸術への理解薄い民主を変えたい」 民主公認の庄野真代氏

民主党公認で夏の
参院選比例代表に出馬する歌手の庄野真代氏(55)は11日夜、都内で記者会見し「鳩山政権は事業仕分けで文化芸術への理解が薄いと思い、内側から変えたい」と抱負を語った。

 同時に「昨年の政権交代後、温暖化ガス削減の高い目標を掲げるなどの考え方が心に響いた」と民主党からの出馬理由を説明した。2010.5.11 21:54 【産経新聞】

 小沢チルドレンは現在約120名いるが、未だにこれといった政策も、発言も聞かない。否、物を言わせないのだ。(最近は、横粂氏が一人気を吐いているが・・・。そのうち粛正されるか、枝野氏のように閣僚として口封じするか、何れかだろう)
 これが「小沢流」なのである。小沢幹事長にとって、小沢チルドレンたちは、単なる票集めのための道具にしか過ぎないのだ。だから、今回、出馬を決めた谷亮子氏も庄野真代氏も民主党への票集めの道具にしか過ぎないと見ていいだろう。
 だから、「事業仕分けで文芸への理解が薄く、党内から変えたい」とする庄野氏の意気込みは感じるが、「悪魔は芸術を解さない」という西洋の格言がある通り、小沢氏や鳩山氏に芸術を理解するだけの器はないと見た方がいいだろう。出るだけ無駄というものだ。
 
 そもそも、芸術というものは、洋の東西を問わず、「金持ちの道楽」か「金に糸目をつけない趣味人」が居てこそ、後世に文化、芸術として残っていったものだ。

 日本の歴史を見れば一目瞭然。例えば、戦国時代。特にその傾向が顕著だ。当時の戦国大名や商人たちによる武器(特に鉄砲は武器だけに止まらず、芸術品にまで高めている)、茶の湯(室町時代の文化人達の寄り合いに使われていた茶会を織田信長が政治の道具として使い、秀吉が戦国武将達に広め、千利休が固めた)、絵画(築城や商家の庇護の下に襖絵や屏風絵などで後世に残る)、建造物(特に築城と庭園が代表的で、建築物では書院造り、数寄屋造りともに室町・桃山時代)、などに見られるように、風流と粋、美と婆娑羅を追求した狂言や能、などといったように、諸大名が競って個性溢れる美が追究された時代であった。

 
 戦国時代は、個人が自由を謳歌した時代であり、個人として移動の自由があり、個人の能力も発揮によって、道が開かれる時代であった。西洋の民主主義が日本に入ったのもこの時代であったとも言われている。そして、民主主義を戦国大名に翻訳して伝えたら、「それは下克上のことだな」と理解したという。民主主義は、個人や個性というものを尊重し、個人としての自由の発揮が技術や文化を生み、それが能力や技術の向上に繋がり、ひいては社会の繁栄にも繋がるもの。しかし、民主主義も行きすぎれば、下克上と喝破した戦国大名も偉い!
 

 しかし、今の民主党を見る限り、民主主義」を口にする小沢氏は、真に民主主義を理解しているようには思えない。彼の言う民主主義は、投票型民主主義を悪用した「ヒットラー型の独裁主義」だ。投票型民主主義が衆愚制に陥る典型を我々は見ている。まさしく小沢氏の手法は個性や個人の言論の自由を封殺する恐怖政治に他ならない。こんな危険極まりない独裁主義の民主党に、女性達が利用されている。女性の持つソフトな雰囲気を利用し、悪用し、騙しのテクニックに使っているのが小沢幹事長だ。実に、ゲーテのメフィスト、悪魔の手法そのものではないか!

 遅くはない、庄野真代さん、谷亮子さん、民主党・小沢幹事長の関心は、芸術やスポーツにはない。全く理解していない。彼の関心は、自民党の崩壊と政党を利用しての自己資産の額しかない。あなたたちの将来と子供達の未来のためにも、早く出馬を取り止めた方が賢明な選択だ。

 

クリックお願いします

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 広島(市)情報へにほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 福山情報へ

関連記事
スポンサーサイト

コメント

金持ちの道楽とはなにか
植松みつお氏の視点、行動力やよし。
私は支持するものである。
しかし、

「そもそも、芸術というものは、洋の東西を問わず、「金持ちの道楽」か「金に糸目をつけない趣味人」が居てこそ、後世に文化、芸術として残っていったものだ。」

という一文は看過できない。
この言葉には芸術を蔑む内容が含まれている。
文章の訂正をお願いしたい。

そもそも芸術が広がっていったのは、芸術に対する飽くなき情熱をもった先人達の、努力に努力を重ねてきた結果があってこそである。
宗教家が強い信仰心に基づき、情熱をもって伝道を行ってきたことと同じである。
そのような、高貴な念いが根本にあってこそ、協力者が現われてきたのである。
この一文だけは許せない。

宗教法人幸福の科学に対して、経済的に豊かな方が、多額な寄付をしてくれたことに対して
「金落ちの道楽ですなぁ。優雅なものですなぁ。アハハハハ。」
と言われて、はいそうですか、と言えますか。言えないでしょう。
寄付した人の心情もあるでしょうが、それが心からの寄付であるならば、
「いえ、違いますよ。それは布施の心ですよ。尊いものなんですよ。」
と反論しませんか。
宗教ならば、尊い布施で、芸術ならば金持ちの道楽なんですか。
Re: 金持ちの道楽とはなにか
貴重なご意見、有難うございます。
私も音楽は大好きで、昔はピアニストになろうと志した時もありました。その後、サッカーをしてて左手を骨折し、ピアノからギターに乗り換え、シンガーソングライターを目指したりもしました。でも、才能はないと見切り、諦めました。
だから、才能のあるピアニストや芸術家を発掘し、その活動を支えるスポンサー(金持ち)の存在は尊いと思いますね。その芸術を理解しなければ、物になるか否か分からないものに投資なんかできないと思うんです。それこそ、道楽(道を楽しむという意味)の精神が無ければできないと思いませんか?そして、その課程で、本物を見分けてゆく目利きも出来てくるようになりますよね。十年、二十年、三十年と音楽家の卵や画家を目指す芸術家の卵を見続けていれば、次第次第に物になる才能という物が見えてくるようになります。
それは、それで「悟りの道」を違った形で求めていく姿にも近いのではないでしょうか?本物の宗教も、本物の芸術も、「無我」(自我我欲を去り、神や仏と一体となっていく境地であり、本質を見抜く智慧の力を掴むことに繋がる)を目指していく課程こそ、私は「道楽」(道を楽しむ)の真意が隠れていると確信しています。
ちょっと、軽く言い過ぎた点は申し訳ないですが、私の真意もそこにあります。成金の悪趣味というような事ではありませんので、ご理解くだされば幸いです。


管理者のみに表示

トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。