夢を形に!植松みつお

政治、経済、教育、医療、メディア、等々の中から、話題を取り上げ、問題提議して参ります。あたなと共に「幸福の実現」を目指して参ります。

スポンサーサイト

--.--.-- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【菅内閣は総辞職せよ!】 国民への責任感なく、リーダーシップもなく、あるのは権力への執着心のみとなった菅首相への問責決議を急げ! 

2011.02.18 (Fri)
蓮舫氏、原口前総務相の菅政権批判に「筋合いまったくない」と反撃
2011.2.18 11:46

 今の民主党の体たらくぶりを見るにつれて、今を去ること35年ほど前の全学連の活動を想起するのは私だけではあるまい。その活動の実態は理論と行動は矛盾だらけで、世の中を変えるんだという志だけはご立派だが、その実態は暴力革命であり、仲間同士での派閥抗争、権力抗争、裏切り、チクリ、突き上げ、挙句の果ては殺人まで平気でやっていたのがその実態だった。抗争に次ぐ抗争で、やくざ以下の活動だった。人と人との繋がりも希薄で、中身は実にバラバラ。信頼に基づくような「理想郷」なんて絵に描いた餅だった。みんな疲れ果て、ある者は企業に、ある者は役所に、ある者はマスコミに、その活動を隠匿して紛れ込んでいったはずだ。

 しかし、その抗争が組合活動では役に立って、上手く渡っていた者もいる。例を上げれば、菅首相からのご指名で某国の大使をされているような方などはそうだ。その「理想」と崇めた「マルクス」そのものがいけなかった。成功者や富者を嫉妬することを正当化した論理であり、目的のためには手段を選ばないことも人々を不幸にしていった。マルクスそのものが成功者ではないのに、理論だけで実態が伴わない空理空論だったことが理解できなかったのだ。「騙された方も悪い」これは「詐欺罪」の基本的な考え方だ。そもそもペテン師のようなマルクスを理想と思ったところが不幸の始まりだった。

 それを未だに捨てきれない輩がいる。それが「市民活動家」。菅首相や江田法相の出自はここだ。「市民」などと聞こえはいいが実態は、体制批判、政治批判をし続ける社会の破壊分子たちだ。これの類似は「環境左翼」とか「お坊ちゃん左翼」とか、正真正銘の「組合活動家」とかがいる。これらの基本教義は「嫉妬心」だから性質が悪い。他にも商売や経営者の中にだっている。成功しない自分の原因を他に求めればいいだけだから実に簡単だ。そして、自分の努力不足を棚に上げて、政治が悪い、協会が悪い、挙句の果てには買いに来ない客が馬鹿だ!などと云うのだ。それで潰れても「自分は悪い」とはついぞ思わないから、何をやっても永遠に成功など出来やしない。

 本来ならば、1990年ベルリンの壁が壊れて滅ぶべき「左翼」が、日本では不幸にも残ってしまった。カタカナでサヨクとか言ってみたり、共産党も党是を変え、旧ソ連とは違う共産党などと言ってみたり、社会党などは分裂して、カメレオンのようにその色を変えて民主党という新しい政党の中に紛れ込んで生き抜いた。その結実が今の民主党政権であるのだから、めぐる因果は糸車とはよく云ったものだ。それ以上に政治的には、左翼政党を滅ぼせなかった自民党も情けないと言えば情けない。1990年の「ソ連崩壊」の総括をやらなかったことが大きい。「米ソ冷戦終焉」を保守の勝利としてアピールしなかったことが、日本の発展を遅らせているとも言えるのではないか。そうさせなかった理由も分かる気がする。その時の内閣総理大臣は、大蔵省上がりの宮沢喜一氏だ。日本の政治のなかには、この官僚機能が手枷足枷となって、民間人からの政治参加を陰で排除しているからではないか?

 そもそも、官僚機構はアメリカGHQの引き上げから引き継いだ正統なる政治機能であり、社会主義であれば国家の大黒柱、「特権階級」社会を形成している機能である。かつて、ソ連が健在だったときに、「もっとも社会主義が成功している国」とお墨付きを頂いているのが日本の官僚型国家体制なのだ。その欺瞞に突っ込めない不勉強のマスコミも情けないが、それ以上に、役所や国会では必ずある「記者クラブ」で役人や官僚から情報をもらって生きてきたのが彼らであり、換言すれば、官僚に飼い馴らされてきたのがマスコミだったのだから、仕方がないのだ。

 なぜこんなことが許されてきたのだろうか?その理由は、「米ソ冷戦の狭間」にある立地的好条件があったからだ。所謂、台風の目のような状態、もしくは渦と渦の潮目にあって「無風」もしくは「凪」のような状態だったからだ。そして、アメリカが押しつけてきた「平和憲法」によって軍事的な責務を果たさずに経済のみを考えていればよかったからだ。そんな中途半端な状態で過ごせた日本的平和が50年続いた。♪「戦争知らずに僕らは育った」と謳歌できた時代だった。

 しかし、悲しいかな今までの日本は「独立国」ではなかったという事実もひた隠ししていたのだ。その事実が分かったのが90年代に入ってからだ。アメリカ人からは「52番目の州」と言われ、中国や韓国の気概ある青年からは「自国のことは自国で守れない情けない国家」と蔑まれ、インドやフィリッピンのような宗教心ある国民からは「無神論国家」と馬鹿にされた。これらはすべて事実だ。すべて、「アメリカ」のポチとなった官僚機構の掌の上で、聞こえのいい議会制民主主義という「茶番劇」を続けていた老醜をさらした政治家たちが、自分たちの都合のいいように国家を扱った結果ではないか?「未来の日本人」や「未来の青年たち」から見て、この国のままではいけないと思った気概ある自民党議員は幾人いたか!!それを問いたい。左翼の政治家など、もって瞑すべし!歯牙にも掛けられた存在ではない。
 
 さて、民主党の蓮舫なる議員が首都東京から出てきて、「民主党の原点である無駄ゼロ日本をつくるために全力で仕事をしている。このことを批判される筋合いはまったくない」と反論したそうだが、一日おきに国の経費で焼き肉にしゃぶしゃぶを食べにほぼ日参している菅首相にどうして無駄ゼロ日本ということができようか?まぁ、誰が何を食べようと自由ではあるのだが、せめて「国民の生活重視」と謳った政党ではないか?国民に無駄ゼロと云うのなら、人目があるところでは率先垂範で「湯漬け」くらいにしたらどうか?また、「事業仕分け」を自らの手柄としたいようなのだが、「経理がのさばれば会社は傾く」のは会社経営している人の常識だ。「事業仕分け」という無駄カットなど国会議員のやる仕事か?これを会社のなぞらえれば分かりやすいだろう。経費を削るのなら官僚(会計監査院)がやればいい。無駄を省く役所はそこなのだから。まさに、仕事のできない部長(国会議員)が課長(官僚)の仕事を奪っているようなものだ。それよりも部長(国会議員)なら会社(日本経済)の収入を増やすことを考えるべきではないのか?社員(国民)を食わせられるように仕事を取ってくることを考えるのが部長(国会議員)の仕事ではないのか?
 
 ここで百歩譲って「無駄ゼロ」を謳うなら「官僚(役人・教員)の無駄」になぜ触れない。例えば、国立大学など未だに続けているが、こんな制度が残っているのは、中国かロシアかフランスくらいだ。本当にいい大学は私学であるべきだ。そして、授業料の安い大学にするか否かは理事長始めとした「騎士道精神」に溢れた経営陣のやる仕事であり、国のやる仕事ではない。事実、文科省の天下り先が国立大学ではないか?!所詮は、官僚の天下り先を作りたいためにその手下になっていたのが「国会議員」たちだったのではないか?更に悪いことに、官僚から「天下り」で「政治家」になるから、法律を作って天下り先を増やし、既得権益を拡大しようとするのだ。

 こうした自民党の代り映えのしない政・官・財の談合政治に対して、「政治主導」を謳ったのが「民主党」ではなかったのか?「無駄ゼロ日本」よりも期待されたことは「官僚主導から政治主導」の掛け声だったはずだ。村田蓮舫なる参議院議員よ!本来、何故に日本国の政治家としてなったか?!国民の声に耳を傾けないならば、汝、恥を知れ!一日も早く菅首相とともに議員辞職せよ!そして、志ある自民党の議員よ!国民に交わした「政治主導」の公約を果たさず、財務省官僚に滲み寄り、「増税政策」を実行しようとする菅首相を問責決議に掛けるべし!


クリックお願いします

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 広島(市)情報へにほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 福山情報へ



関連記事
スポンサーサイト

コメント


管理者のみに表示

トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。