夢を形に!植松みつお

政治、経済、教育、医療、メディア、等々の中から、話題を取り上げ、問題提議して参ります。あたなと共に「幸福の実現」を目指して参ります。

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【凛とした教育、美しい教育を】 米長邦雄永世棋聖の『正々堂々の論陣』に拍手!民主党並びに支持団体日教組・教育者は持って瞑すべし!

2011.01.10 (Mon)
【正論】年頭にあたり 永世棋聖・米長邦雄 これから凛とした教育をしよう 
 2011.1.10 03:29 【産経ニュース】
 
 「苦しい時、不利な局面の時にこそ、笑うことが勝利への特効薬である。そういう考え方をすれば不利も有利に変えられる。それが私の人生哲学、勝負哲学である。」と米長永世棋聖は言う。かねてから奇想天外なことをなされることで有名な米長永世棋聖。発言もなかなか奇抜だ。そうは言っても、微に入り細をうがつの通り、言葉に切れがあり、読んでいて愉快な気分にさせてくれるから不思議だ。米長永世棋聖の言葉を参考に教育全般について考えてみたい。

 【同志諸君!今年も国難打破!を誓い、具体的行動としては、「教育改革元年」の年としよう!】 
 古くから「笑う門には福来る」という言葉、精神態度は、日本の文化史、行動規範からすれば至って伝統的な考え方である。新年の門松と注連縄をされる家庭には、必ず「笑門来福」と書かれたお札のようなものを注連縄に挿して飾ったものだ。苦しい時に苦しい顔をするのは至って平凡人だ。苦しい時にこそどう行動するのか?悲しい時にこそ、その問題にどう向き合えるか?本当に心から笑顔が出せるだろうか?人には言えても自分のこととなるとなかなかできないのが凡人の証明でもあろう。

 この「笑顔」というもの、大人になればなるほど簡単そうに見えて、なかなか出来そうで出来るものではない。かく言う私にも、つい2、3日前のこと、こんなことがあった。近くの「ダイソー」で買物をしていたら、小さな子どもに足を踏んづけられ、そのまま走って行かれた。思わず「痛っ!」と言うと、その子どもが振り返り、怪訝な顔をした。子ども相手に「痛いじゃないか!」とムキになるのもなんだし、私の小さな頃からの習慣だと、人に失礼なことをすれば「ごめんなさい」と謝るように躾けられたよな、なんて考えながらじっと子どもの反応を見ていたら、ニコッ!と笑顔を出された。笑顔を出されて「こら!」って怒るに怒れない。こりゃ新年から一本取られたと思ったのだった。

 特に子どもの笑顔は本当に不思議だ。人の怒りや悲しみを中和させるような作用があるのだろうか?つい昨日のNHK大河ドラマ「お江」のなかでも描かれていた。浅井家が滅ぼされ、路頭に迷うお市親子。生まれて間もない「お江」の笑顔が家族の心を救うのだ。「お江が笑っておる」と茶々が言う。思わずこぼれる親子の笑顔。ドラマとは言え、よく出来ていた。確かに、窮地に追い込まれたときに、「笑顔こそが勝利へのカ特効薬」だと知っていれば、自暴自棄になって自殺などしなくても済むのではないだろうか?

 こんな言葉がある。「笑顔は努力に比例する」というものだ。これは大川隆法著『成功の法『』の中に書かれているものだ。



「どんな人間にも、人知れぬ苦労、人知れぬ悲しみはあるものです。笑顔の中に神経質な皺を刻みこんでいく機会はあったのです。それをせず、笑顔でい続けることができたということは素晴らしいことです。何故ならば、心の中に常に否定的な想念を抱いている人は、どうしてもそういうものを呼び込んでしまう傾向があるからなのです。「笑顔を持ち続けることができる」ということは、「不幸を呼び込む要素がなかった」ということで、素晴らしいことなのです。特に、若い人が笑顔を持つということは、そう難しいことではないかもしれませんが、30歳となり、40歳となり、50歳となり、60歳となったときに、いつまでその笑顔を保つことができるでしょうか?これは一つの修行だと思わなければなりません。

 「笑顔は努力に比例する」ということは、「笑顔の人は、それあけ、笑顔を作ろうと努力してきた」ということです。笑顔を作ることは、「顔施」とも言われ、笑顔を持った人が一人でも多く出ることgあ、世の中が良くなっていくための方法でもあるのです。それはちょうど、道端に咲いている花にも例えることができましょうか。花でさえ笑顔を保つ努力をしている姿に見え、また、動物でさえ、素晴らしい笑顔を作っているように見えることがあるではありませんか。飼い主が帰って来たときの嬉しそうにしている犬の姿を見て、不愉快に思う人がいるでしょうか。そのように、人生を生きていいくための一つの秘訣は、「とにかく笑顔を維持する。努力してでも笑顔を作っていく」ということです。それが多くの人のためになり、世の中のためにもなるということを忘れてはならないと思います。」とある。
 
 米長永世棋聖の言葉、「笑うことが勝利への特効薬」という言葉からいろいろと考えてみたが、要は、凡人であっても続けることで非凡の境地へと進むことができるということ。知っていれば「転ばぬ先の杖」ともなる。そして、「笑顔」によって人を喜ばすだけでなく、自分も救われることがあるということだ。それはまた、努力に比例するということでもあった。事実、製薬会社に携わった者として、心の健康の延長線にある笑顔の生活は、肉体の健康とも比例する。免疫力を上げるのも笑顔であることは否めない事実だ。

 もう一つ、この【正論】の中でも「凛とした教育」という言葉には惹かれるものがある。子どもたちに自国の文化、歴史に誇りを持たせることは、事実を知ること以上に大事なことだ。詳しい経緯は大人になって知ればいい。それ以上に大事なことは、ちゃんと子供たちに日本という国の歴史を学ばせ、守り伝えていくことだ。それは日本語、特に大和言葉をちゃんと伝え続けていけるようにしていかないといけないと思う。英語混じりの日本語なんてインチキ臭く聞こえるのは私だけではあるまい。英語混じりの言葉には、さもインテリ臭く聞こえさせる偽りの薫りがある。ちゃんと日本語で言えない政治家、評論家なんて、まがい物と言っても過言ではあるまい。言葉を言の葉といい、言霊とも言ってきた大和民族。日本人自身が日本語を語れなくなったら、日本ではなくなる。もう一度、日本全体の国体(皇室中心という意味でなく)というものを考え直す時期に来ていると思うのだ。

 その点で戦後65年、私たちはいつのまにか欧米特にアメリカの「東京裁判史観」を押しつけられてきたことも触れておかないといけまい。その代表的遺産が「マッカーサー欽定憲法」だ。別の名を「平和憲法」とも言い、自国民を守ることを放棄した憲法だ。「こんな憲法は、憲法であって憲法ではない。その実態は、条約である」と喝破した方もいる。その流れの中で、この国を滅ぼす方向に、愛国心も生まれないような教育をしてきた戦後教育。「アメリカに追いつき追い越せ」を合言葉に企業戦士たちを沢山産み、頑張って子供を育ててきた時代はまだよかった。しかし、優秀な企業戦士になれなかった全共闘世代たちが多数入ったマスコミと官僚、および地方行政職員、特に教員たちによって高度成長期以降の日本を大きく狂わしていった。特に、NHKや朝日新聞などのマスコミが取り上げた「受験戦争」という言葉やエセ教育者たちの「15の春は泣かせない」等という「偏狭な甘えの構造」がブーメランのように受験生たちを襲った。その結果が、ゆとり教育による学力の低下、非行の低年齢化、いじめ社会の陰湿化、公務員らのサラリーマン化である。90年代以降の子どもたちの学力の落ち込みと塾の隆盛とは相関関係にある。教員の労働者化がもたらした咎だ。結局、そのツケを親たちが支払わされているのである。役に立たない教員や公務員はリストラするのが当然の国民の権利ではないか?!

 日教組という組合闘争活動は止まることを知らず、その事実を隠蔽し、急速に、学校は治外法権化し、教員らの横暴は続く。校長らへの陰湿な暴言、暴力だけでなく、その魔の手は子供らにも及ぶ。教師の下に平等とでも言わんばかりに、気に食わぬ児童・生徒にはいじめが横行し、特に警官と自衛官の子どもたちへの教師らのいじめは執拗だったも聞く。これもまた菅直人首相が目指す「最小不幸社会国家・日本」の姿なのか?菅直人首相が目指す社会とは、突き抜けたような幸福や成功は認めない、痛み分けによる貧しさの下の平等社会だ。それはまた教師の下の平等社会と同様で、個人の才能の発揮は許さない。皆な低次元でバカの壁を共有し会える結果平等社会なのだ。特権階級(例えば公務員子弟や教員子弟)だけは特別でそれ以外は向上できない平等主義社会なのだ。日本国民はこんな日本を本当に認める気なのだろうか?このままだと自滅する国家となるしかない。

 米長永世棋聖が語る『坂の上の雲』の「明治という国家」の基盤は教育にあった。資源無き国家には「人財」という宝が埋もれている。それを見い出せるか否かは「教育は国家百年の計」の言葉通り、子供達がその才能を発揮できるかどうかに掛かっている。未来の大天才達が百花繚乱の如き才能を世に示す時代を作り出せるか否かに掛かっている。それは「努力するものが報われる社会」であり、「ゆとり教育」による怠け者社会ではない。
 個人の持つ才能を発揮し、成功した者が多ければ多いほど、この国が豊かになり、財政も健全化し、貧しい者も「敗者復活戦」の場を許される社会にできるのだ。それが米長永世棋聖の言う「美しい教育」によって実現ができるのではないかと私は思う。「美しさ」は「努力する汗」のなかに煌めいていると私は思う。私は氏の志を形にできる教育行政を実現したい。もう前近代的な社会主義国家の根本理念である平等主義はまっぴらご免だ。やはり、自由主義からの繁栄を実現できる社会風土をこそ目指すべきである。道半ばで倒れても無限責任のような前近代的資本主義ではなく、チャレンジ精神と見切りができる智慧在るWIN-WINの成功が実現できる未来指向型社会を築きたいものだ。それは教育がベースとなり、自助の精神を叩き込まれた自由主義からの繁栄社会をこそ私は望みたい。


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The opening of Japan
最初の開国は明治維新である。二番目の開国は戦後である。三番目の開国はこれからである。


考え方にはいろいろある。自分たちの考え方が理に合わないものであることを証明するのは難しいことである。だが、それが証明できなければ、おかしな考え方を改めることも難しい。

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