夢を形に!植松みつお

政治、経済、教育、医療、メディア、等々の中から、話題を取り上げ、問題提議して参ります。あたなと共に「幸福の実現」を目指して参ります。

スポンサーサイト

--.--.-- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【仙谷官房長官罷免できなければ徳島産品不買運動!】 これが政治だ!国民の側から突きつける腐敗政治に対する抵抗運動(レジスタンス)だ!

2010.12.11 (Sat)
問責受けた仙谷氏 政府答弁書は「反省しながら国民の期待に応える」
 2010.12.10 12:24 【産経ニュース】
 自民党の森雅子参院議員の質問主意書に答えたものだが、参院で問責決議を受けた仙谷由人官房長官の処遇について政府は、10日の閣議で、「決議を厳粛に受け止め、反省すべき点は反省しながら、政策の面で国民の期待に応えていくことによって、閣僚としての責任をしっかり果たしていくべきだ」とする答弁書を決定した。

反省だけなら猿にでもできんで!

 だが、「反省するふりだけならサルでもする」という言葉がピッタリの逃げ菅に国民の怒りは、矛先が決まったと言ってよいのではないか?それが次の記事だ

仙谷批判、地元・徳島県産品の不買運動に発展 ネット中心に盛り上がり
 2010.12.10 22:47 【産経ニュース】
「辞職か落選まで阿波踊り観光には行かない」
 尖閣問題の対応などで猛批判を受けた仙谷由人官房長官(64)の地元・徳島県に対し、県産品の不買などを訴える動きがネットを中心に起きている。仙谷氏を選出した徳島県民を批判する通告文が商工会に送りつけられるケースもあり、地元経済界は戦々恐々だ。(夕刊フジ)

 地元紙などによると、尖閣事件の映像が流出した先月以降、ネットの掲示板などで《仙谷官房長官の地元・徳島県産品の不買運動を広げよう》といった書き込みが増えた。地元の商工会や農協などの連絡先が記された文書も同時に広まり、一部のネットユーザーがこの動きに同調しているという。

 地元のある団体に対しては、「仙谷さんがいる間、徳島県の物は買わん。調子に乗ったらあかんで」と言い放つ若い男性など複数の抗議電話が寄せられた。県庁にも数十件の“不買宣言”メールが寄せられ、《徳島県の有権者にはそれなりの責任がある》といった通告文を送りつけられた団体もあったという。

 いまのところ“実害”の報告はなく、一時は沈静化しつつあったが、仙谷氏が参院で問責決議を受けたのを機に、不買運動の一件を地元紙が報じたことから騒動が再燃。現在までに、ネット上には賛否両論合わせて6000件以上の意見が飛び交っている。

 中には《仙谷氏が議員辞職するか落選するまで、阿波踊り観光には行かないようにしよう》という声まであり、徳島の経済界は、ただただ面食らうばかり徳島商工会議所の担当者も「何も手の打ちようがない。静観するしかない」と話している

<同志諸君!誇りと伝統のある日本と言う国を中国や朝鮮に売ろうとするような政治家を許すわけに遺菅!仙谷ともども監獄送りだ!>

 問責決議が決まっても責任も取らず、開き直って辞任もせず、菅首相も罷免できなような政府にどうして国民が信頼を置けようか?「辞職か落選まで阿波踊り観光には行かない」「徳島の産品も買わない」という不買運動、徳島観光しない運動は、決してオーバーアクションではないと思う。国民の率直な思いではないか?こうした思いを肌で感じられない政治家には情け無用!断罪あるのみだ。当然、仙谷議員を輩出した徳島県民は大いに反省し、行動すべきところだ。
 こうした悪徳政治に対しての抗議運動(レジスタンス)こそ、フランス革命から流れる民主主義の基本だ。これをもし政府が圧力を掛けたり、言論統制をしたりするようになるなら、抗議運動から抵抗運動に変わる。この時、政府を倒す権利が国民に生じる。江戸時代、悪代官に対しては土一揆は当然であり、時の政権を支持する商人らは、打ち壊しされたり、吊るし上げられたり、焼き討ちにあったりしたものだ。その点で、政治に関わるということは、国民の生命・財産・生活を守ることであり、身命を賭してやるものである。決して、頓挫した共産革命や学園紛争の延長線、老人の道楽、健忘症の暇潰しのためにやっているのなら、お辞め頂きたいものだ。

 それにしても、徳島商工会議所の担当者はいったい何様のつもりでいるのだろう?「何も手の打ちようがない。静観するしかない」と話しているそうだが、全く持って無関心、無頓着、無責任にも程がある。自分たちの議員選択の失敗を棚に上げて、「手が打てない」などという言葉が出てくるようなら、これもまた仙谷議員と同一のものをがあると言わざるを得ない。当然、他県民から怒りを買って、徳島産品不買運動となって返ってきても仕方がないのではないか?「これはまずい!」と思う心あるならば、地元の声として仙谷議員に苦情を訴えることだって出来るはずだ。仙谷議員が一番恐れるのは地元民の声だ。第一、票が入らなければ議員なんてただの人なのだから。だから、地元票を握る人たちの声を聞かないはずが無い。それをこのまま「「手の打ちようがない」とか「静観するしかない」と逃げたり、「面食らう」と他人事で終わらせてしまうならば、徳島県民の無神経さは、仙谷議員のような超無神経な人間を出した土壌だけに共通しているのかもしれない。

 ただし、土壌として考えるならば、私は、徳島県と同じ四国の出身なので、四国以外の人から見れば、同じ穴の狢のように思われる方がいたらいけないので、敢えて釈明しておきたい。
 古事記の中にも、四国は「身一つにして面四つ」を持つと記されている。即ち、それぞれ県ごとに自然の要害で分かれていて交わることがないのだ。かつて、明治維新以後の廃藩置県で、藩がそのまま県となって13県から始まり、最小では2つ(徳島と高知、愛媛と香川)までなったが1890年府県郡制が整備され、現在の四県にまとまった。その過程から見れば、けっして一つにはならない風土を持っている。だから、民主党が掲げている地域主権、道州制をやってもうまくはいかないことを意味しているのだ。)そして、それぞれの県に一宮(産土神)がいて、それぞれの県民の特徴を醸し出している。
 それならばここで、四国の県民性を表すエピソードを紹介しておこう。「思いがけぬお金、1万円が手に入ったらどうするか」という小話がある。「愛媛県人はすぐ何か物を買う、香川はそのまま貯金をする、徳島はそれを元手に商売をしてお金を増やそうとする、そして高知は仲間を呼んで酒を飲む」のだと言う。実に、県民性を表している小話ではないだろうか?

 こうした政治家輩出の責任を県民性という特徴との関係を考察しつつ述べてきたが、結論として、人間の意思行動の自由には責任が伴うということだ。無記名と言う投票であっても、その選挙における選択の自由を行使した結果、悪い為政者を出した因果は当然、報いを受けるということだ。それが仮に選挙に行かなかった者も、白紙投票し、選択しないで逃げるという行為において現行の為政者を支持したことになるのだ。
 だから、今後の政治形態において、アメリカ合衆国が世界標準としてスプレッドしてきた投票型民主主義が本当に理想かどうかには、一定の疑問を感じざるを得ない。投票型民主主義は、簡単に、欲望型民主主義、ポピュリズム、衆愚制に堕ちてしまう欠点があるからだ。
 また、現代のような大量媒体を持つメディア優位の時代において、洗脳型の番組構成をされてしまうと、国民は簡単にパブロフの犬のように、メディアの犬となってしまう危険性を秘めている。この点で、理想的な民主主義国家を担保するものは、良識ある情報発信番組が配信されることだ。そして、政治家たちの選挙民の欲望を煽る言動(前回の衆院選のようなバラマキ公約)をチェックする制度が必要だろう。当然ながら、官僚らもまた、政府と国民の管理下に置かないと社会主義に暴走する危険があるので、厳しくコントロールする必要がある。現在のピラミッドを引っ繰り返す必要があるのだ。
 これからの理想国家としての政治の要諦は、国民全てに選択と行動の自由があり、国民の生命・財産・生活を抑圧しない国家であり、個人の繁栄を最大限に保障する国家を希求すべきである。逆に、国民も個人の自由と繁栄を守る国家には忠節を尽くさなければならない。納税(10%)、勤労、教育、愛国の義務を負い、後世の若者たちに恥じない国家を、その時代、時代にあった理想的なものを目指してゆくべきであろう。

クリックお願いします

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 広島(市)情報へにほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 福山情報へ


関連記事
スポンサーサイト

コメント


管理者のみに表示

トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。