夢を形に!植松みつお

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【反捕鯨団体「シー・シェパード」問題】 政府は、海賊行為と環境国際テロを続ける自然保護団体を名乗る「シーシェパード」を逮捕し、壊滅させよ!

2010.12.02 (Thu)
反捕鯨船、出港 「昨季より妨害に自信」とシー・シェパード代表 
2010.12.2 11:20
日本の南極海調査捕鯨船団による本年度の捕鯨シーズンを迎え、米国の反捕鯨団体「シー・シェパード」の抗議船が2日、調査捕鯨活動の妨害を目指し、オーストラリア南東タスマニア島のホバートを出港した。

 同団体は今年2月、抗議船の船長が日本側の船に酪酸入りの瓶を発射するなど、妨害活動は激しさを増す一方。海上保安庁が国際手配している代表のワトソン容疑者は「昨季より効果的に妨害する自信がある」と強調しており、今回の捕鯨活動も難航が予想される。

海賊

 シー・シェパードの抗議船「アディ・ギル号」は今年1月、日本側の船と衝突し、航行不能となった。今季は新たに、日本の怪獣映画にちなんで名付けた「ゴジラ号」(全長約35メートル)を導入。日本の船団より高速での航行が可能とし、ほかの2隻と計3隻態勢で捕鯨活動を監視する。(共同)

<同志諸君!日本の国益と国民の生命・安全を守るのために、海賊行為をするシーシェパードを攻撃し、断固たる対応をすることが大事だ>
 シ―シェパードという自然保護団体を名乗る、環境左翼テログループは、「日本国は、憲法9条があって、自国の防衛も放棄した国だから、何をやっても攻撃されることはないと甘く見て、海賊行為をしているのだ。
 シーシェパードによる卑劣な捕鯨の妨害行為をこのまま許していいのか?
 この実体を日本の政治家たちはどうしてきたのだろうか?
 簡単に言えば、自民党のリベラル、鳩派などの総理・総裁となったことによって、軟弱外交をして蒔いた種が育ってきたといっても良いだろう。自国の権利や国民を真剣に守ろうとしなかった、アメリカに依存し続けた自民党政治の禍と言っても過言ではあるまい。長らく、派閥争いばかりして、国民の利益をそっちのけでやってきた談合政治。その結果、昨年、選挙に負け、「全学連」崩れの政治家が政党を持ち、政治家となり、国防を携わるようになったことによって、外交音痴、国防無視の政治集団、民主党政治によって、ますます日本の領海、領土、国民は舐められている現象が続出してきているのだ。

 もはや、過去を問うても未来は変わらないから、現在に的確な手を打たないといけない。
 まず、海賊行為に対しては、国民の利益、国民の財産、国民の生命を守るためにも、断固たる態度が必要だ。そのためにあるのが、「海賊処罰法」だ。この法律をどう運用するのかを聞いた審議会が昨年あり、その中で、篠原孝・外務委員(民主党衆院議員)が岡田直樹・国交省政務次官(自民党参院議員)に問うたものがある。紹介しよう。
 「日本の技術、文化を守ろうとしつこくやっているものに捕鯨があります。領海に対する卑屈な態度と比べたら、これは突出して日本を前面に出している部分だと思います。海賊処罰法は期限を限定せず、場所も限定せず、海賊行為があったらどこへでも出かけていくという勇ましい法律になっております。
 環境団体シーシェパードが日本の調査捕鯨船を攻撃、乗り込んだり化学品が入った瓶を投げ込んだりします。これは海賊行為ではないのか。私は明らかな海賊行為だと思いますが、国土交通省から岡田政務官に来ていただいているので、ご見解をお聞かせ頂きたい。 」と。

 これに対して、岡田直樹・国交政務官(自民党参院議員)が応えたものが以下の内容だ。
 「シーシェパードの行為が非常に憎むべきものであることについては同感であります。合法的に、しかも非常につましく調査捕鯨をしている日本の捕鯨船に対して理不尽きわまる妨害を加え、また環境保護の美名に隠れて寄附金を募ったりしている。大変許し難いことであると思いますが、いかに彼らが無法者であれ我々は法治国家として
法に則って粛然と対応しなければならないと思います。
 御指摘の妨害行為は、行為の具体的な内容が海賊対処法案の規定する海賊行為に該当する場合はこの法案に基づいて対処することができると考えています。」と。
 

 ここで、シーシェパードがどんなことをしているのかを語ったビデオがある。彼の有名なテキサス親父「アディギル号よ永遠に」 Sea Shepherd エコテロリスト撃沈! から見て頂きたい。 
 

 
 いったいシーシェパードの奴等は、どんな危害を加えているのだろうか?
 まずは、日本の捕鯨船に体当たり、レーザー光線を船長や船員に当てる行為、金属製のロケット弾被弾、酪酸と見られる液体入り瓶による攻撃、ホーガンによる攻撃、捕鯨船への乗り込み妨害、等。妨害というには度を越えている。武器を使った攻撃であり、国民の生命の危機に関わるような行為である。これらに対して、水産庁は「きわめて危険な行為で断じて許されない」と言っている。
 子供じみた行為のようにも見えるが、環境左翼による国際テロと言っても過言ではあるまい。テロ行為をする者たちに対して、日本国政府は、国を挙げて断固たる態度を取ることが、国際的にも「毅然たる国家」として認められ、ひいては野蛮な社会主義テロ国家、北朝鮮や中国に対しても、効果が出てくる。その結果、支持率も上がるのだが・・・。
 まぁ、リーダー不適格のドン菅首相にそれができるとも思えない。国の威信が落ちていくのを何も出来ないことを残念で仕方が無い。民主党の政治家に期待するのは無理としても、せめて、海上保安庁、自衛隊の方々がこうした海賊に、断固たる態度を取ってくれることを期待したい。


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コメント

will
何事につけても新しがり屋の日本人が、時代遅れの精神生活を送っているのはどうしたわけか。

日本人には、意思がない。だが、恣意がある。
だから、意思を恣意と間違って解釈することになる。
すると、以下のようなことが起こる。

西洋文化の輸入も、意思がなければ支障をきたす。
意思の自由は考えられるが、恣意の自由は考えられない。
恣意の自由は、<自由のはき違え> となり、自由主義の普及も難しい。
意思は自由主義・個人主義の友人であり、恣意は利己主義は不自由主義の友人である。
不自由を常と思えば不足なしか。

政治指導者の意思決定はなく、その恣意決定は受け入れない。
意思の表明は成り立つが、恣意の表明は成り立たない。
日本人の声明発表はうつろに響く。その形式的な声明には、実行の意思がないからである。
そして、きれい事というか、空理空論には現実対応策が欠落している。ああ、むなしい。

意思があれば、罪もある。
殺意があれば、殺人罪である。
殺意がなければ、たとえ人は死んでも、死刑執行人は罪に問われることはない。

日本人には意思がない。
意思は、未来時制の内容である。
日本語には、時制がない。

意思薄弱とも思える日本人の社会では、意思を確かめることは難しい。
人々は個人の意思を確かめるこなく、個人の恣意に関する察しに専念する。  
察しにたけた人物は、思いやりの深い人間として信頼されている。
だから、裁判員になることについて、日本人には多大な精神的抵抗がある。
罪の意識のない社会では、人々は罪を裁くことを望まない。<責任者を出すな> と叫ぶ。

日本人には、意思 (will) はないが、恣意 (self-will) がある。
成案はないが、腹案がある。
意思・成案を表すのには、文章が必要である。相手がその矛盾を指摘することもできる。
だが、恣意 (私意・我儘・身勝手)・腹案には、文章は必要ない。
恣意的な人間は、言語に不自由をしている子供・アニマル同然である。大和魂の持ち主のようなものか。ど根性か。

日本人が子供に見えるのはこの時である。
周囲のものが指導者の意思を察するのである。ただ意向というか、はっきりしないものを察するのである。
政治家と公設秘書のようなものか。一致団結して阿吽の呼吸でやる。
俺の目をみろ 何んにもいうな 男同志の 腹のうち。腹案がある。共謀関係の立証は難しい。
察しは他人の勝手な解釈であって、いざ罪のありかを定める議論になれば、それでは証拠不十分となる。
意思の存在を認めることのない社会で、意思の有無を確認することは難しい。

腹案の内容は、腹を割って見せなくては知られない。隠ぺい体質の産物である。
それには談合が必要である。小言、独り言の類が語られる。
内容は、決して公言・宣言としては表明されることはない。

恣意を文章にすることは、英米人はやらない。
理性を失うことは、恥ずかしいことだからである。
やれば、周りの者から嘲笑される。
彼らは、'Shame on you!' (恥を知れ) と言って、相手をしかりつける。
だが、これを日本人はやる。この種の恥は、日本人にはない。
これを '本心をさらけ出す' と言い、内々で甘えさせてもらうのである。
相手は、'真意は何か' と尋ねる。
この行為が英米人の日本人に関する不思議である。

恣意的な人間は、滅私奉公により調教された。わが国の伝統的な人間教育は、序列人間を作ることである。
意思を認めることのない社会での責任者探しは難しい。無責任な社会では、それ特有の犠牲者を出さなくてはならない。
だから、日本人は恣意の理不尽に耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで生活する必要があると教えられている。

意思があれば、その内容も明らかにすることができる。
意思の内容に賛同して、協力者も現れる。
恣意であれば、その内容も明らかにすることがでない。
恣意は誰もが嫌うので、協力者が現れることもない。
日本人は、戦争のときでさえ、絶対的な権力者を作ることはなかった。

文章が無くては、議論は始まらない。
無理が通れば、道理が引っ込む。だから、問答無用である。
上下関係で決着をつける勝負の世界である。猿山のサルと同じかな。
自分の(恣)意のままにならぬ相手を切って捨てるところが恐ろしい。

世俗的なものの上下を知らなければ、礼儀正しい日本人になることも難しい。
日本人の礼儀作法は、序列差法だからである。序列なきところに礼儀なし。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812


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