歴史 の記事一覧
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- 2015/06/19 : 【歴史問題】「『人を以て鑑と為す』という至言、歴史の鉄則を、我が事として準える人(国)の少なきことよ」シリーズ5
- 2015/06/16 : 【歴史問題】「歴史は勝者によって記されるが、それは必ずしも真実ではない。」シリーズ4
- 2015/06/15 : 【歴史問題】「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」シリーズ3 ~まさしく歴史は繰りかえす~
- 2015/06/13 : 【歴史問題】「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」シリーズ2
- 2015/06/12 : 【日韓問題を考える】「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というが・・・。シリーズ1
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自民・稲田氏が「岡田氏は恬として恥じない」と痛烈批判 厚労委員長負傷めぐり(☜クリック)産経ニュースより
稲田氏は「(岡田氏は)謝罪するどころか正当化した。こういう方々が人権や教育、憲法問題について言及されるのは非常におかしい。断固として抗議したい」とも述べた。
岡田氏は党首討論で、安倍晋三首相から「二度とやらないと約束していただきたい」と求められたが、「強行採決をしないと約束するか。それをせずこちらだけ攻められても困る」と開き直っている。

いつもステキなメガネと衣装で国会に花を添える稲田朋美政調会長。
稲田政調会長は、弁護士なのだから、しっかりと論理を立てて、刑事告発をして、会期が終わり次第、議員辞職勧告なり、懲戒免職jなり、断罪に処すればいいではないか?そして、今回の負傷事件は、共産党と民主党とが協議の上でやったことなのだから、志位委員長と岡田党首らは共同不法行為として、損害賠償の責めを負わせればいいのだ。
マスコミ各紙、各TV局らは岡田党首の兄が経営するイオンにスポンサーとなってもらっているため、頭が上がらないのだろうが、岡田克也氏の票田となっている三重県の農家がどれほどイオンに食い荒らされ、泣かされているのか、その実態を調査し、TVまたは新聞紙上で徹底追求をしてほしいものだ。特に、左翼マスコミはブルジョアジー打倒ではなかったのか?いつから宗旨替えをしたのか?

イマイチ、釈然としない岡田党首の「法の解釈」と党首討論。ホントに東大で学んだの?
加えて、岡田民主党党首は、「今年になってから安倍政権の締め付けによって民主主義が危機を迎えている」などと言及しているようだが、岡田党首の弟(高田昌也氏)が勤める中日・東京新聞がどれほど幸福実現党への露骨な嫌がらせ、報道規制をして、国民の「知る権利」を侵害しているか、徹底追求してみたらどうか?
「人の振り見て、我が振り直せ!」・・・岡田克也氏にぴったりの言葉だ。
◆6月18日(木)の出来事② ~海外編 ~
中国に入れ込んだ代償…現地子会社の不正見抜けず、名門商社が100年の歴史に幕(☜クリック)産経ニュースより
東証1部上場だった化学薬品商社「江守グループホールディングス」(福井市)が4月末、民事再生法適用の申請を発表し、破綻した。同社は昨年3月期決算までは好業績を続けていたが、その後、中国の取引先から代金が回収できないなど、傾注していた中国事業での失敗が表面化。債務超過に陥り、明治の創業以来109年続いた創業家の歴史に幕を下ろした。

中国で昨年までは江守清隆先生と呼ばれていたのだ。「杜子春」の話を連想してしまうのは私だけではあるまい。
私は、かねてより中国市場への投資を危ぶみ、手を引くことを多くの人にこのブログや講演活動を通じて伝えて来ている。
直近では、トヨタ自動車の中国進出に対しても注意を喚起してきた。
日本にとって、「中国市場はドル箱」ではなく、「ドロ箱」なのだ。それも盗人の多い「コソ泥箱」である。
有名な話で諸兄もご存じの方は多いのではないかと思うのだが、ある経営者が中国市場に進出し、日本企業のノリで「会社は誰のものか。それは社長のものではない。社員のものでもある」と訓示を垂れたところ、その日のうちに会社の備品や商品がなくなった」というのだ。こんな程度の頭脳とマインドしかないのが中国人なのだ。「信頼の経営」など絵に描いた餅であって、「恐怖の経営」しか通用しないお国柄であることをよくしらなければならない。
化学薬品商社の100年の歴史に幕を下ろさせた中国市場を、「他山の石」とすることなく、よくよく我がこととして日本人ならば、「人の振り見て我が振り直し」て欲しいものだ。
◆シリーズ「賢者は歴史に学ぶ」④ 19世紀から20世紀にかけてのロシア南下政策
引き続いて、今回が5度目となる「賢者は歴史に学ぶシリーズ」だが、今回のスポットは江戸末期から明治の時代となる。
この時の最大の危機はロシアの南下政策だった。その時の朝鮮半島の情勢は、国家としての体を成さない清国の属国化した李王朝がある状態だ。
「このままではロシアに朝鮮半島が奪われてしまう。そうなれば日本が危ない」こうした危機感から明治政府は日清戦争に勝ち、韓国を独立させた。
しかし、自立心のない韓国では10年しか持たない。
結局、朝鮮半島の自立と満州国の独立のため、日本はロシアと戦う羽目になってしまう。

ロシアとの戦いに向かう連合艦隊東郷元帥
多くの日本人が「ここで日本国が滅ぶのか」と思った日露戦争に勝利し、朝鮮半島を「併合(植民地ではない!)」した。ただ、間違った戦後教育と左翼思想のお陰で多くの日本人が勘違いしていることがある。それは「日韓併合」は、植民地化ではないということだ。なぜなら、明治44年から昭和20年までの「日帝36年間」の国家予算を見れば分かる。その間につぎ込んだ財政は、4600万円から31億円の67倍増、公債も1000万円から5億7000万の57倍増となっている。これを見れば、明治政府がどれほど朝鮮半島を善くしようとしたか、その意気込みが分かるというものだ。
例えば、社会科の教科書や朝日新聞などでは未だに植民地=搾取という文章が見かけられるが、その実態は全く逆で、日本国民からの投資、それも血税という"支援"で支えられていたのだ。

日韓併合、使用前と使用後。
すべては、「朝鮮国を自主独立させるため」だったことを強く明記しておきたい。
ここでの教訓は、「権利の上に眠る者は保護されない」ということ。
特にこの「日韓併合」については、日本国政府がしっかりとした態度を示さなければならない。
米国が日本の国の立場を弁護してくれることなど絶対に、永遠にないからだ。ましてや、日本国政府が義務教育で「日韓併合」を植民地政策と教え続けていては、どうしようもない。
「自虐史観ここに極まれり」と言っても過言ではあるまい。
戦後70年を境に、アメリカが放った日本への「自虐史観」も終わりにしなければならない。
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「アジアの巨人日本に衝撃の結果」シンガポール紙が速報(☜クリック)
シンガポール紙が「アジアの巨人である日本と引き分け、貴重なアウェーの勝ち点を獲得した」と評価。好セーブを連発し、チームのピンチを何度も救ったGKイズワンの「孤軍奮闘」ぶりを手放しでたたえた。
本当に、ファイン・セーブの連発で神がかり的なGKだったが、ハリルJAPNにとっては、格下相手にドローは痛い。

シンガポールGKイズワンと競り合う本田選手。
◆6月16日(火)の出来事② ー海外編
国際線キャンセル17万件、旅行取りやめ外国人は11万人(☜クリック)
中東呼吸器症候群(MERS)感染拡大が続く韓国で、5月31日から6月12日にかけ、韓国航空会社の国際線の予約キャンセル件数が計約17万4千件に上ったことが16日分かった。
韓国の情報公開に問題があることをWHOが指摘し、韓国での中東呼吸器症候群(MERS)コロナウイルス感染の実態調査を進めていた世界保健機関(WHO)と韓国の合同調査団は13日、調査結果を発表、「韓国での流行は大規模で感染者が今後も増える可能性がある」と指摘しされている。
従軍慰安婦問題でも情報公開したら嘘と欺瞞と偽証に満ち溢れている。この国は一体どうなっているんだ?

情報公開遅れ、WHOが指摘
◆シリーズ「賢者は歴史に学ぶ」④ 歴史は勝者によって書かれる。真実とは違うことはよくある。だから、史実は疑ってかかれ!
さて、本日で4回目となった「歴史に学ぶ」シリーズで、時代背景は安土桃山時代。
豊臣秀吉が二度にわたって、朝鮮半島に攻め入った文禄・慶長の役を取り上げる。
ここでの重要なポイントは、明国とその属国李氏朝鮮との連合軍VS日本軍(豊臣秀吉軍)というところ。
文禄の役は講和、慶長の役は秀吉の死去をもって中止となった。
これらの戦いは、16世紀最大の国際戦争であり、当時の大国・明国を相手に、小国(のように思われていた)日本の立場を、戦による勝利によって一気に押し上げたということ。
また、徳川幕府史観や戦後の朝鮮半島の人からは余り良く言われない豊臣秀吉だが、当時の明国は、新たに勃興してきたヌルハチ(清朝初代皇帝)との戦いにより財政は窮乏していたので継戦能力は既に事欠いていた状態だった。
だから、もし、豊臣秀吉が長生きしていたら、明軍を打ち破り、朝鮮半島を占領する事態もあったわけだ。

秀吉に嘘の情報をあげて、戦を終わらせようとした小西行長。なぜか、秀吉からはお咎めがないのが不思議だ。
特に、日本軍の戦の中でも興味を引くのは、李王朝の圧政に苦しめられていた朝鮮の人民は日本軍の侵攻を解放軍の到来と捉えた(Wikipedeaより)とあるのを見れば、日本側からの一方的な侵略だったとだけ言えないものがあることは、左翼的歴史観に毒されない正当な目で見て、記しておきたい。

<トピックス>
侵略者・豊臣秀吉と朝鮮半島の人々は口々言うが、あなたたちのキムチの必需品、唐辛子はその時に薬として持ち込まれていることを忘れてはならない。
さて、ここでの教訓は、当たり前のことだが、「歴史は勝者によって書かれる」ということ。織豊時代の後にできた徳川幕府の歴史観によって豊臣政権の「朝鮮出兵」は、良くない戦をしたように記されている。本当にそうだったのだろうか?
学校の教科書ではそのように教えていて、マスコミもそれを事実のように捉えているが、真実はどこか違うところに隠されているように思えてならない。史実を受け売りで見聞するのではなく、一度か二度は裏読みして、自らの地頭で考え、答えを出す作業が大事ではないだろうか?
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甦る日本史〈3〉戦国・織豊時代篇―頼山陽の「日本楽府」を読む (PHP文庫) 中古価格 |

当代きっての日本通、渡部昇一先生が取り上げられた頼山陽著『日本楽府』。NHK教育でも歴史書として参考にされたらどうか。
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よくぞ、西洋の大航海時代に太閤殿下がいらっしゃって下さったものだと思う。キリシタンを利用して国を奪取してきたスペインやポルトガルの邪な心を見抜いて禁教とした秀吉公。さらには、「Time is Money 」で黄金の国ZIPNAGの基礎を築いたといっても過言ではあるまい。
民主・長妻氏が議事妨害の「暴力」を正当化 「お行儀よく見過ごせば国益かなわない」(☜クリック)産経ニュースより
やはり、馬脚を現した左翼民主党、共産党らの真骨頂、「暴力革命」だ!目的のためには手段を選ばない。かつて共産党の元書記長・宮本顕治氏もまた、思想犯で刑務所に入れられたのではなく、傷害致死、死体遺棄などの刑法犯だったことを知れば、ホントに左翼は恐ろしい。
目的のためには自らを正当化し、相手をこき下ろし、「総括せよ」と大多数で少数意見を封殺し、圧力を掛ける。
自らは正しいことをしていると勘違いしているから、本当に質が悪い。

「革命のためなら、ISILのテロリストとでも手を組む」という共産党・池内さおり議員。実に恐るべし!
一方、支援母体である日教組らを使い、長い時間を掛けて猫なで声で子供達に嘘をやデマを教え込み、幼い子供達の頭脳を政治不信に育て上げてきた。また、他方ではTV、新聞というマスコミという「洗脳装置」を使い、平気で「子育て支援金配布」などという出来もしないデマ情報を流し、国民を投票行動に扇動させ、平然と詐欺行為を国家レベルで行い、国民のカネ(意図的に作られた政党助成金によって)を盗んだのだ。
その手口は、実に巧妙で、狡猾だった。

所詮、左翼の連中なんて、きれい事だけだ。
若者とお年寄りは特に、騙されないようにしないと、口先だけだから、そう「羊の皮を被ったオオカミ」というところか?!
歴史は、まさに繰り返す。
今また、「暴力革命」を復活させようとして、連携して悪あがきしている民主党と共産党の姿を見ることにあるとは・・・。
人は、何年経っても「歴史の鉄則」に学べないものなのか?
◆6月11日(木)の出来事② ー海外編ー 時代錯誤な迷惑国家、ここにあり!
北朝鮮、日本海に向け短距離ミサイル3発発射(☜クリック)産経ニュースより
6月3日に韓国軍は北朝鮮の大部分を攻撃できる射程500キロ超の弾道ミサイルを開発し、忠清南道泰安で発射実験に成功したことに刺激されたのか、14日16時、北朝鮮は、南東部の元山(ウォンサン)付近から日本海に向けて短距離ミサイル3発を発射した。北朝鮮は今月6日から22日まで航行禁止区域を設定しることから、まだ予断は許さず、韓国軍は、300ミリ放射砲の試射を行う可能性が高いとの見方を示している。

水艦発射弾道ミサイルの発射実験に立ち会う北朝鮮の金正恩第1書記(今年5月撮影)
「天気晴朗なれども、波高し」というところか・・・。半島情勢もきな臭くなってきたようだ。
◆シリーズ「賢者は歴史に学ぶ」③
さて、本日は、3回目とんった「歴史に学ぶ」シリーズで、時代背景は鎌倉時代。
言わずと知れた元帝国の襲来である。
その当時、朝鮮半島は新羅が滅んで、高麗に代わっていた。
その高麗は元の圧倒的な軍事力に敗れ、元帝国の属国となっていた。
高麗国は名にもせずに属国になったわけではない。実に、6度戦ったが、7度目はなかった。
そのくらい執拗で執念深い時の皇帝フビライ・ハンは、朝鮮側の忠告も聞かず、日本を征服しようと使者を送る。

モンゴル帝国創始者のチンギス・ハンの孫フビライ
その時の文面はこうだ。
「大蒙古国皇帝、書を日本国王に奉る」と書き出している。
自らの方に「大」という文字を付け、相手国に対しては「国王」ときた。
そして、「我は思う、昔から小さい国の君主は、領土が接している場合、修好に励むものである。高麗も君臣の関係となって領土を安堵してやっている。日本は高麗に接しており、開国以来中国に来貢しているではないか。これからは友好関係を持ち、親睦を図りたい者だ。もし武力を用いなければならないならば、これはもとより好むところである。日本国王よ、よく考慮されよ。」とあった。
このときの国王は、朝廷ではなく、鎌倉幕府執権北条時宗で、まだ17歳であった。
6度にわたる使者のやりとりと日本からの使節も送りながら防衛体制を強化。朝廷の命を拒絶し、「蒙古側からの親書は無礼である。答える必要なし!」と、朝鮮からの使者も追い返した。

鎌倉幕府8代執権・北条時宗
実に、快男子である!
これによって、文永の役(1274年)へと突入することになる。
そこで、高麗国王は、フビライから900艘の船と兵隊15000人を用意するように命じられる。
この負担の程はすさまじく、高麗国王元宗は「嘆願書」を出すが、聞き入れられず疲労困憊で死んでしまうほどだった。
ここでよく知るべきことは、(社会科でもよく教えて頂きたいところだが)属国=植民地であり、この戦での高麗側の費用(食料や資材、恩賞など)はすべて「搾取して余りなし」という状況である。
だから、明治時代の「日韓併合」のことを、左翼教育の現場でもそうだが、マスコミの左派、特にNHKや朝日新聞の解説員などや、「植民地」という言い方をしているが、まったくお門違いだ。そうでなければ、不勉強なのか作為的自虐発言としか言い様がないほど、その言葉の実態とはかけ離れている。
再確認すればこうだ。
「日韓併合」は「植民地=搾取」ではなく「併合=対等=投資」だった。

「元寇」の実態
文永の役の第一波は、対馬に上陸する、10月3日のことだ。敵兵2万6千、そのうち高麗兵が6千だった。対馬守宗助国は80騎で防戦。当然玉砕し、全島が凌奪の対象となった。男を見れば殺し、女は捕虜にしながら、、筑前に到達。10月20日のことだ。
これを迎え撃つのが日本軍5千。敵の主力部隊は強く、博多・箱崎方面は完全に蹂躙され、箱崎八幡宮も戦禍に見舞われた。
完敗である。
そこで起こるのが、「神風」である。元軍は夜襲を恐れて不念に引き上げていたところを、暴風雨が起こり、元軍の過半数が海の藻屑となる。日本本土での決戦は3日ほどであったが、ここまでの抵抗を受けたことはなかった。後にベトナムでも被ることになるが・・・。特に、日本兵の突撃の強さは、大東亜戦争だけでなく、この鎌倉の時代からあったDNAだったのだ。
もちろん、日本側も新たな時代の国際戦を経験することになる。
これまでの日本国内の戦は、「やぁやぁ、遠からんものは音にも聞け、近くば寄って目にも見よ、われこそは大和国の○○・・・」と名乗りを上げて戦っていたのだが、数百、数千の騎馬隊が押し寄せてくるのだ。武器も火薬があったり、毒矢があったりしたわけだ。もし、「神風」なくば、この国は中国の属国となっていたとは間違いないことだったろう。

蒙古襲来絵図
こうした事態を受けてフビライも日本占領が簡単ではないと知り、再び親書を認め、使者を送って修好を求めた。
これもまた北条時宗は拒絶。使者を斬り、逆襲することを決める。
朝鮮半島の南岸の港を片っ端から攻撃、破壊活動をしている。この名残が倭寇として海賊行為が拡大することになったという説がある。この倭寇は、韓国の人々が忌み嫌う豊臣秀吉によって海賊停止令(1588年)が出され、収束を見ることになるのだ。
その後、フビライは13年もの準備期間をおいて、前回の6倍以上、10万余の大軍を編成して、日本本土上陸を目指す。
これが、弘安の役(1281年)である。
その第一波は、やはり対馬に5月21日上陸、沿岸各地で戦いが二ヶ月にもおよび、海戦では全く手も足も出なかった。
そして、本体の10万余が本格的に侵略しようとしたときに、再びの「神風」である。8月6日の台風によって元軍は全滅。帰国できた元軍は2割に満たなかったと伝わっている。
この「神風」の存在こそが「神州日本」という言葉を裏付けるものとなる。そして、7百年後の大東亜戦争に「神風特別攻撃隊」を生むことにもなるわけだ。
こうして二度にわたる元寇の戦と事後処理の結果、鎌倉幕府は戦費支出で苦しむ御家人達の不平と不満から「徳政令」や恩賞問題で幕府は傾いてゆく。その後の江戸幕府もよく似た形で崩れていっている。
まさしく歴史は繰り返すのである。

後醍醐天皇
元寇の終焉から約50年後に武家政治の時代から天皇自らが政治を行う建武の中興が起こる。
ここでの教訓は、「国家は自ら力で護る」という気概を持たないと、国家は滅ぶということだ。
元・フビライとの戦では「神風」が吹き、国が護られたように思われているが、鎌倉武士もしっかりと戦い、国土防衛をされたのだった。
翻って、現代の日本はどうなのだろうか?
最近、護憲派の巻き返しが厳しいが、実際には「平和憲法」が日本を守ってきたのではない。勘違いしている文治派の学者達が多いので困る。武力があってこそのシビリアンコントロールが重要なのであって、武力が無ければ、上記の高麗国のように、「属国化」するしかないのだ。
これは歴史の趨勢である。
一日も早く、GHQからのWAPと「平和憲法教」から目覚め、「自国のことは自分たちで護る」だけの気概と準備をしておく必要がある。これは危機管理の鉄則、「悲観的に準備し、楽観的に対処する」という鉄則そのものだからだ。
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歴史を知らない日本人への名著シリーズ、「鎌倉編」だ。
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日本人が極東においてイニシアティブがとれないのは、「歴史観」が希薄だからだ。「歴史」を知らない者は、知っている者に騙される。これが今の、自民党の政治家達ではないだろうか。
民主党、旧社会党に先祖返り ピケとヤジで審議妨害 派遣法改正案の厚労委採決先送り 岡田氏「やむを得ない…」(☜クリック)産経ニュースより
衆院厚生労働委員会は12日、与党が目指した労働者派遣法改正案の同日の採決を先送りした。反発する民主、共産両党に配慮したという。怒号と激しいもみ合いの末、5分遅れで審議は始まったが、民主党議員は着席せず、立ったままやじを飛ばしていた。民主党は共産党とともに平和安全法制特別委員会など衆院の他の4委員会も欠席。質疑を求めながら質疑をせずに審議を妨害する“矛盾”について、民主党の岡田克也代表は12日の記者会見で「こういったやり方も場合によってはやむを得ない」と正当化した。

審議妨害する民主党議員らにもみくちゃにされた渡辺委員長
◆6月11日(木)の出来事② ー海外編ー
小学女児に陽性反応、初の院外感染か 朴大統領支持率さらに下落(☜クリック)産経ニュースより
中東呼吸器症候群(MERS)コロナウイルスへの感染による女性感染者(72)の死亡が確認。また、父親が感染し自宅隔離されていたと10歳未満の小学生の女児に陽性反応が出た。初の病院外での4次感染となる可能性が出てきた。こうした感染への対処不十分さへの不満から、11日現在、朴槿恵(パク・クネ)大統領の支持率は先週からさらに1ポイント下落し33%、不支持は58%となった。(民間調査会社の韓国ギャラップ調べ)

朴槿恵大統領は、国民がMARSで苦しんでいても、馬脚の見えた茶番劇「従軍慰安婦問題」で日本叩きをし、支持率回復を目指すようだ。
◆シリーズ「賢者は歴史に学ぶ」②
このシリーズは、ここ二千年余りの朝鮮半島有事の中から、代表的な紛争にスポットを当て、そこから現代を俯瞰し、未来へのヒントを探り出してみようと思います。
<7世紀、白村江の戦い>
日中韓の二千年の歴史の中で、大きく揺れた出来事として、二度目は飛鳥時代にありました。日本・百済連合軍VS唐・新羅の連合軍という戦争がありました。
新羅軍の中から李舜臣という英雄の登場により、日本・百済連合軍が白村江の戦いに敗れ、その後、朝鮮半島は新羅によって統一されます。しかし、なぜか新羅は日本への朝貢は続く・・・。二心ある新羅の外交は女心のように、今も昔も日中の間で揺れ続けているのです。その後、戦いに敗れた日本は、防衛上、現在の滋賀県、大津京に遷都します。
その後、壬申の乱を経て、政治の主導権を握った天武・持統天皇の体制によって、再びの奈良・藤原京への遷都を行い、日本は本格的な律令国家として固まってゆくのです。
特に、持統天皇の時代には、日本の文化史上、大きな発明がなされました。白村江の戦い以降中止されていた遣唐使が再開された折り、倭国から日本(ひのもと)という呼称を使います。聖徳太子が隋の煬帝に当てた親書の言葉「日出ずる国」への拘りでしょうか。そして、大王から天皇へ呼び名の変更、日本書紀の編纂、伊勢神宮への参拝、これまで歴代の天皇が伊勢神宮(特に内宮)を参拝されることは珍しく、持統天皇と明治天皇だけなのだそうです。天武天皇が、死後、持統天皇の夢枕に立ち、日本が「天照大神の国」であると伝えたことによります。

天武・持統天皇陵
ここでの教訓は、戦いに敗れることで、国家としての弱点が明らかになったということです。それは、大東亜戦争も同様ですが、国家経営の基盤が脆弱だったことです。国家としてのインフラが整備されていませんでした。防衛体制や経済面、人材養成の面、そうした不足していた部分を敵国だった唐に遣唐使を出して学び、都のインフラや国防体制を固めます。
その点で、敗戦は国家としては痛手ですが、イノベーションの機会となり、新たな人材や諸制度を生む機会となることもあり、単に戦を忌み嫌うのではなく、負けた後の態度、検証し教訓を掴むことが大事です。要は、勝者から何を学ぶかという視点が大事なのではないでしょうか。
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この一冊で歴史の見方、考え方が一変する。日本国の歴史に正義を取り戻す一書!
維新、ついに“民主斬り” 派遣法採決で与党と協調 再編志向の松野氏、大阪系「是々非々」路線受け入れ産経ニュースより

維新の党 松野代表
「維新は豹変(ひょうへん)した!」と民主党幹部が批判したそうだが、それは連携しようといた民主党幹部達の不勉強を露呈している。かつて、「野党再編となるか」と昨年8月に私のブログでも記したとおり(☜クリック)、実を言えば、維新の党は自民党以上に保守なんだ。だからこそ、かつての何でも反対の社会党路線を行く民主党とは袂を分かたないと、大阪都構想反対を決められた大阪府民の声で感じ取ったわけだ。「革新ではなく保守回帰」路線と方針変更をしなければ、選挙では勝てないことを知ったのだと思う。
こうした時勢と党内の圧力を感じてか、野党再編志向の維新の松野頼久代表は、“民主斬り”を決断したのだ。当然すぎる帰結だ。
国民を謀った民主党にどうして票が入るのか?軍隊蟻と同様の組織、連合や日教組、労組、組合が付いているからだ。そうでなければ、こんな破廉恥な政党は解党していてもいいぐらいの政党だ。これからは、「維新抜き」で、議会を欠席したり、審議を拒否したり、税金の無駄遣い政党として、共産党や小沢の党、社民党らと一致した対応をすることを決めたそうだ。まさに、烏合の衆としての面目躍如というところだ。
◆6月11日(木)の出来事② ー国外編ー
韓国がまた利下げ、過去最低の年1.5%に MERSで消費停滞を憂慮産経ニュース

韓国銀行(中央銀行)本店の旧館は、辰野金吾によって設計された建物で、もともと日本統治時代に朝鮮銀行として使用。
韓国内で拡大する中東呼吸器症候群(MERS)コロナウイルスの感染被害で景気低迷の懸念から韓国銀行は、経済活動への打撃を最小限に抑えるため、3月にも引き下げた政策金利を0.25%利下げ決定をした。これで、過去最低の年1・50%となった。こうした利下げは、ユーロ圏でも進んでおり、デフレスパイラルとなってゆく。日本が90年代から20年苦しんだデフレ不況への道をひた走ることになるだろう。ここを抜け出すためには、日本と協調することが一番の近道なのだが、おそらくお隣の中国に秋波を流すだろうから、ますますデフレ地獄への道を二人三脚で墜ちてゆくことにならないよう、切に祈りたいものだ。
◆シリーズ「賢者は歴史に学ぶ」①
この二千年余りの朝鮮半島有事から、現代を鳥瞰し、未来へのヒントを探り出してみたい。
<3世紀、三韓征伐の時代>
まず、今回は、伝承として残っている3世紀頃にあったという出来事、三韓征伐にスポットライトを当ててみたい。
その中心的人物でもある神功皇后(息長帯比売命)は、新羅の王家の末裔、『古事記』の応神天応記によると、母方の系譜が新羅国の王子、天之日矛命と伝えられている。そして、近江国の坂田郡に生まれられた。その後、仲哀天皇に嫁ぐことになる。
ここがとても重要なところで、新羅の王家の末裔と天皇家が深く繋がっているという事実が分かる。その後の桓武天皇の母方は百済のご出身であったことを考えると、ますます、朝鮮半島(特に南部)と倭国とは、遺伝子的にも深い深い関係であったことが分かる。

神功皇后による三韓征伐の足跡
その後、仲哀天皇と神功皇后は近江国の穴太(高穴穂)にお住まいになられた。その後、九州の熊襲征伐、朝鮮半島の有事(新羅の軍事的拡張)により、ご神託を受けた神功皇后の号令一下、新羅を攻めることになる。
この史実は、広開土王碑にも記されていることなので、倭国側だけの一方的な伝承とは違うことだけは明らかだ。
更に、新羅国の方々は、神宮皇后のご威光に打たれ、ひれ伏したとあるが、実際は、王家の末裔がお郷帰りされたので、儒教の国だった朝鮮半島の国民(くにたみ)は、ひれ伏したのであろう。

絵の中央にて立っておられる方が神功皇后。左側でひれ伏しているのが新羅の国民。
その後、倭国は三韓(馬韓こと後の百済、弁韓こと後の任那・加羅、辰韓こと後の新羅)からの朝貢を受けることになる。
また、三韓征伐をされた際、応神天皇を身籠もっておられた。その帰路、応神天皇をお産みになられたという。応神天皇は、古事記によると130歳まで生きられ、全国に約8千社あるという八幡神社の主祭神として祀られている。
そのお子が仁徳天皇。大阪府堺市にあるあの巨大な仁徳天皇陵を見れば、いかに徳の高い天皇であったかが分かるというものだ。有名な故事では、民家の竈(かまど)から炊煙が立ち上っていないことに気づいた仁徳天皇は、3年間租税を免除し、その間、倹約して宮殿の屋根さえ葺き替えなかった、と言う。如何に、仁徳天皇の治世は仁政として知られていたかが偲ばれる。「仁徳」の名に相応しい。こうした天皇中心による徳治政治が確立されてゆくのだ。

仁徳天皇の有名な故事、「民のかまど」を絵にしたもの
以上のことから、3世紀から5世紀頃の倭国と朝鮮半島との関係は、天皇家と各の王家とが国体的に深い繋がりがあったことが分かる。そして、その関係は、朝貢を受けていたのは倭国の天皇であったことをみれば、立場的に日本の方が上位にあったことが窺い知ることができる。
かつて、プロシアの名宰相ビスマルクが語ったように、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」の言葉通り、日韓問題は明らかに、歴史から学んでいない政治家や左翼学者達の不毛さが、混乱を生んでいるように思えて仕方がない。
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